43歳になりました、調たかしです。思えば初当選が32歳、その1週間後に誕生日が来たので、バッヂを初めて頂いたのは33歳のときでした。

あれからもう10年です。「世のため、人のために働きたい」との思いは全く衰えていませんが、「自分がバリバリと仕事ができるのはあと何年くらいだろうか?」「そもそも、あと何年生きられるのだろうか?」と、最近は残された時間のことばかりを考えるようになりました。それだけ、あっという間の10年でした。

悔いのない人生でありたいと、少年の頃からずっと思っています。この43年間、大小さまざまの挫折はもちろんありましたが、どんなに周りから笑われようとも、無様と言われようとも、気力と体力の続く限りは己の信じる道を進んでみようと思います。

さて、今年の自身の誕生日の出来事は、記録しておかなければなりません。日本時間の17日、菅首相が渡米し、バイデン米大統領との首脳会談に臨みました。

我が国の対中国の外交史を語る上で、大きなターニングポイントとして記憶される首脳会談だったのではないでしょうか。

昨年のアメリカ大統領選挙における下馬票では「中国寄り」と言われていたバイデン大統領ですが、就任後のアメリカの対中姿勢に関する報道を注視してきた限りでは、予想以上に前政権の強硬姿勢を維持しています。むしろ、アメリカの多国間主義への回帰が鮮明になる中で、民主主義の価値観を共有するアジア・太平洋諸国との連携による中共包囲網の形成が更に進んでいる印象があり、主に経済的な対立に焦点が当たった前政権時代よりも、ウイグルや香港での人権問題、南シナ海や台湾海峡への対応など、様々な分野で先鋭化した感があります。

太平洋を挟んで向かい合う米中の両大国の対立を、米ソ冷戦になぞらえた論を最近よく目にしますが、恐らく昨今の情勢は後の歴史教科書に、「第二次冷戦」といった記述がなされるのでしょう。こうした中で、「我が国がどっちにつくのか」は極めて重要なのですが、旗色を鮮明にしたのが今回の日米首脳会談だったと、後世語られるような気がしてなりません。

かように感じていたところ、18日の朝日新聞の朝刊に、「その通りだ」と思う論評(元外務次官のインタビュー記事)が掲載されていたので、引用をします。記事中の「ルビコン川を渡った」という表現が、今回の出来事を評価するのにまさに適当だと感じました。

ちなみにこの表現、私の小さな人生を回顧する上では、「会社を辞めて無職になり、政治の道に入ったとき」を振り返って用いることがあります。ジョークでもなければそうそう滅多なことでは使うことはありません。単に大きな川を渡るのではなく、不可逆的な意味合いが含まれますから。

「台湾海峡の安定と平和」、「日本の防衛強化」。これらは菅首相が首脳会談後の共同会見で言及しました。日本は台湾海峡を巡る現状の変更を認めないこと、そして中共の脅威に備えて防衛の能力を高めなければならないと認識していることを、明確に発信したものだと思います。中共からは、引用した論評にもある通り、報復措置も含めた反発があるでしょう。我が国が尖閣諸島を国有化したときのような「官製デモ」で被害に遭う日系企業が出ないかが心配ではあり、中国で暮らす同胞の皆さんは、もしかすると不安な思いをされているかもしれません。

他方で、言うべきことは、相手の顔色を気にせずにはっきり言うべきです。ウイグルの人々に対する弾圧(ジェノサイドと言うべきかもしれませんが)は許されるものではないし、一国二制度という国際的な約束を反故にして進められる香港の同化政策と非民主化についても、民主主義の価値観を共有する国際社会にとって共通する脅威であると、我が国はもっとはっきり言った方がいいと思っていました。

台湾海峡で高まる緊張についても、「明日は我が国の尖閣諸島が」という危機感をもっと鮮明に打ち出して、まずは中国海警局の艦船に対抗できるような海保の装備充実や関係法の整備をはじめ、実効力のある対策を取るべきだと思います。

ともあれ、我が国は日米同盟を基軸として、我が国や周辺諸国に対する中共の脅威と対峙する姿勢を、相手の顔色を窺わずに鮮明にしたことは、大きな出来事でした。

アジア・太平洋地域の安定と平和のため、日米をはじめ関係諸国の連携強化を図ることが、抑止力の深化と強化に向けて取るべき道なのだろうと思います。