10年前の今日、私は自転車を押しながら、七隈のまちを歩いていました。

家族3人を抱えて、無職。無名の新人。家々を訪ね歩きながら、1か月後に迫った初めての選挙に向けて、少しでも名前を売ろうと躍起になっていました。

その日の午後、ある家で呼び鈴を押した次の瞬間、血相を変えてご婦人が飛び出して来られました。

「東北が大変なことになって…」

急いで事務所に戻り、テレビで状況を確認しました。代々築かれてきた人々の営みが、多くの同胞の命が、漆黒の濁流に飲み込まれ、押し流されてゆく様子に、ただ言葉を失い、立ち尽くしました。

翌日からは選挙に向けた活動を全て自粛し、被災地のための義援金を募って街頭に立ちました。嫌になるほどに無力でした。ですが、無職の私に思いつくこと、できることは、それだけしかありませんでした。

あれから10年。メディアでは、癒えることのない心の傷を抱え苦しむ被災地の人々の姿が繰り返し報じられています。節目の年にあたって、私だけではなく多くの人々が気付かされていると思います。突然に、理不尽に、大切な人を奪われた喪失感は、決して時間の経過で埋められるものではないのだと。

いま、政治に携わる者の1人として強く思うのは、二度とこのような悲しみが繰り返されないような対策を、ハード・ソフト両面で講じなければならないということ。東日本大震災の後も、残念ながら地震や風水害により、我が国では毎年のように人命が失われています。

自らが奉職する福岡市においては、警固断層陸域の直下型地震、或いは予測を超える大雨による水害への備えに遺漏なきを期していきたい。今日、この日にあたり、市民の命と営みを守るという自らの職責を、改めて深く胸に刻みたいと思います。

また、1人の同胞としては、あの日、心ならずも命を落とした総ての人々の御霊(みたま)の前に額(ぬか)づき、美しき祖国、美しき人の心を守り、次代につないでいくという「生ける者の責務」を、全うしていく誓いを新たにします。

御霊が永久(とこしえ)に平らけく、安らけくあらんことを。

合掌