「何か変だな」と感じる場面でした。

立民・共産・社民・れいわの4党が今週、衆院選を前に共通政策に関して合意をしたようなのですが、見ての通り4人の党首が並んで拳を固めています(写真は日テレ系のニュース映像より)。

「呉越同舟」、或いは「小異を捨てて大同に就く」という言葉通りの構図かと思います。つまりは「自民党という共通の敵」を倒すために、4つの異なる綱領を持った政治勢力が結集するのだと。

「野党共闘」という言葉には日頃から何か漠然とした違和感を持っていました。その姿を初めて視覚的に捉える機会を得て、私は初めて違和感の正体に気付きました。それは小選挙区制が導入されるときの「目論見」からあまりにもズレてしまった現状への違和感なんだと。

小選挙区制が我が国で初めて導入されたのは平成8年(1996年)の総選挙です。政治改革を看板にした細川連立内閣の下で平成6年に改正公職選挙法・改正政治資金規制法・政党助成法などのいわゆる「政治改革四法」が成立し、「政権交代が起こりやすい」、さらには「カネのかからない」選挙制度が実現したはずでした。

そもそも小選挙区制を導入すべきとの声は当時の財界から強く上がっていたようで、その目論見は「保守二大勢力が交互に政権を担うことによる政治の安定」にあったと言われます。細川内閣以前の数年間、自民党政権下でも小選挙区制の導入の是非は真剣に議論されていました。

こうした当初の目論見に照らしたときに、一体なぜ冒頭の写真のようなことが起きているのか。そんな違和感のことを私は今日話題にしています。

日本では小選挙区制の導入で実現すると目されていた「二大政党制」がいまだに根付いていません。民主党政権の3年数ヶ月を除けば最大勢力はずっと自民党であり、それに対抗する勢力が定まっていない。その理由は現在の構図が「保守勢力」対「リベラル・革新勢力」になっているからだと感じます。逆にこの構図がもう少し「保守」対「保守」に近づいたときには、衆議院の総選挙が毎回政権選択選挙の意味合いを持ってくるのではないかと。

しかし、自民党が消滅するほどに割れでもしなければなかなかそのような構図にはならないでしょう。コロナ禍への対応については多くの国民から与党に対して厳しい目が向けられていますが、こうした課題こそ長期安定政権が対処することが望ましいと信じていますので、私自身、いま自民党が割れていいことなんか何もないと感じています。

そこで本日のお題なのですが、じゃあ一体「小選挙区制って何なの?」

私は比例代表との併用からなる現在の選挙制度よりも、以前の中選挙区制の方がはるかに分かりやすく優れた制度だったと、もうずいぶん前から思っています。かつての中選挙区は範囲が広すぎて選挙運動にカネがかかったのは間違いないでしょう。しかし、「福岡市を1つの中選挙区にして5人の当選者を出す」といったことにすれば、そんなに無理なことはないように感じます。

他方で一票の格差の問題を考えると、過疎地を抱える地域ではどうしても選挙区が広大になり、かつ当選者1人の小選挙区が生じざるを得ないと思いますので、実際の運用は小選挙区・中選挙区の併用になるのかと。

二大政党制とか、政権交代しやすいとか、過大な期待(或いは幻想に近いもの)を求めて小選挙区制が導入された結果、我が国の選挙や政治は難解なものになってしまいました。その一つの事例が冒頭の写真であるし、更にはもっと以前から違和感があったのですが、比例代表では他の政党への投票を呼びかけるといった、本来なら考えられない慣習が選挙協力の名の下で続いてきたのも、この選挙制度がもたらした分かりにくさの一例だと感じます。

国際線の飛行機に乗るときの楽しみは何と言っても機内食ですが、「魚か牛肉か」という選択を迫られたとき、もしそこに「チキンか豚肉か」という選択肢があるならば、俄然、選ぶ楽しみも湧いてこようというもの。「魚も牛肉も気分じゃないのに他を選べないなんて…」という理由で、政治参加の意欲を削がれている有権者は決して少なくないはずだと想像します。

「中選挙区制に戻ろう」という議論が今に国政で盛り上がらないだろうかと、私はそんな淡い期待をずっと持ち続けています。