年末年始は思索と音楽に溺れながら過ごしています、調たかしです。日頃お酒を飲む時は主に焼酎をロックで頂きますが、最近溺れている音楽はロックではなく、下手くそなギターをプチプチ言わせながらのポップスまたはバラードの弾き語りです。時間さえあればという感じです。

さて、もう一つ、溺れるという表現が正しいのか分かりませんが、思索について今日は書こうと思います。話のきっかけとして元日以降の新聞記事への所見から。私は新聞を3紙(デシタル版も含む)購読していますが、かつて民放で記者をしていたこともあり、毎年、元旦の紙面はどんな特ダネがあるのかとドキドキしながら読みます。今年一番目を引いたのは西日本新聞。新天町が高層化するって?しかも、よく市役所でお見かけする記者さんが書かれたようで。さすがは地元紙らしい元旦の一面だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

細かいことを言うと、記事の結びの部分では、それまでの記事の内容を否定する関係者のコメントを紹介しながらも、それも含めて書いてしまうという豪胆さ。朝6時過ぎまで寝付けなかったので朝4時頃に読んだのですが、元日の払暁、まさかの初笑いまで頂きました(笑)

読売新聞は日本政府の資金を受けた邦人研究者の技術が中国の「千人計画」で流出する恐れがあることに警鐘を鳴らしています。

 

 

 

 

 

 

毎日新聞は中国製の「闇」コロナワクチンを日本国内の富裕層が接種していることを生々しく報じる、思わず引き込まれるような記事。

 

 

 

 

 

 

中共に対して高まる国際的な警戒感に照らして、悠長すぎる我が国の情勢を見たときに、普段からこのくらい大きく書いて欲しいなと思いはしましたが、両紙とも読み応えがありました。朝日新聞は汚職の続報で特ダネ。3日の紙面で追いかけていた社もあったようですが、3日にはまた別の方の汚職でも続報。関係する他社の記者さんたち、ろくな正月じゃなかっただろうなあ…。

2日は新聞がなかったのですが、ネットニュースを色々と見ている中で、ふと目に止まる記事がありました。毎日新聞より。

東京の教会で「年越し大人食堂」。こども食堂の大人版なのか⁉︎読み進めるうちに理解できました。この年末年始、食べるに事欠く大人が大勢いて、理由はさまざまなんでしょうが、恐らく大半はコロナ禍であると。

ご近所にはご存知の方もいらっしゃいますが、私は毎年の大晦日の終わりから年明けの1時間あまり、地元の神社の前に立って参拝の皆さまに新年のご挨拶をしています。今回の年越しもすごく寒かったのですが、毎年、身体的にはかなり辛い思いをしているつもりです。しかし、終わってしまえば神社立ちにつきあってくれた仲間とお節をつつきながらの新年会です(流石に今年は自粛しましたが)。所詮は暖衣飽食の徒の気まぐれであり、年越しの寒い思いも一時的なものに過ぎません。

もちろん、日頃お世話になっている方々に一番早い年始のご挨拶をしたいという気持ちから続けていることには違いないのですが、あの寒い大晦日に、心身共に私よりもはるかに寒い思いをした人たちが数多くいたことを思い知らされると、恥じ入る気分になりました。

思えばリーマンショックの頃には「年越し派遣村」が話題になりましたが、あの頃に漂っていた例えようもない世の中の虚無感が蘇るようで、改めてコロナ禍を憎む気持ちが大きくなります。

我が国でも太古の昔から、水害、冷害、疫病などに起因して何度も飢饉を繰り返し、その度ごとに多くの無辜の民が塗炭の苦しみを味わってきました。こうした事例は枚挙にいとまがないですが、現代の社会ではこれら典型的な災禍に「その時々の経済情勢」という不安定な要素が加わりました。リーマンショックもコロナも、あおりを受けたほとんどの人たちにとっては、まったく「いわれ」のない災難です。現代の生活は一見して昔より遥かに豊かになったとは言いながら、皆んなが晴耕雨読をやっていた時代よりも遥かに脆くなったと感じずにはいれません。

人類の叡智は無限であり、その歴史は未来永劫に続いて行くものと信じています。だからこそ、今日よりも良い明日を我々は築けるし、より良い社会を子や孫の代に繋ぐ努力を怠ってはいけない。そう思えばこそ、小さいフィールドながらも私は郷土で政治に関わっています。

この年越しを暗い気持ちで、或いは絶望のうちに迎えた人たちが一人でも多く、次の年越しを暖かく迎えることができるように。世の中が去年よりもほんの少しでも、ほんの数ルクスでも明るくなるように。令和3年の郷土の市政が、そのためにタイムリーな政策を打ち出せるように。一年を通じて声無き声に心耳を澄ますべく、気を引き締めて明日からの年始の仕事に取りかかろうと思います。

さて、1月1日の新聞比較の続きですが、斜め上からで大変恐縮ながら、記者時代に大晦日の泊まり勤務をして、元旦の朝刊各紙を確認していたときよりも、総じて各社ネタが小さくなった感があります。これも合理化や効率化、はたまた働き方改革の要請か、ワークライフバランスを追求する時代の流れでしょうか。

忘れもしないある年の元旦の朝日新聞は、こちらが全く把握もしていない福岡県内の不審死事案について「警察が殺人事件とみて捜査」みたいな記事をドーンと出して、当時警察担当だった私の担務とも丸かぶりしていたために、正月気分を一瞬でふっ飛ばされ、されど元日になす術は何もなく、しばらく呆然とさせられたことがありました。恐らく16〜7年は経っていますが、今でも実に嫌な思い出です。ひと昔までの元旦の一面はどこもすごかったなあ。

何かにつけて「昔はすごかった」「昔は良かった」と言い出したら、歳とった証拠だと誰かが言っていた気がしますが、センチメントを解さなければ人は人に優しくできないし、いい仕事もできないと信ずるものでありまして、だから、過ぎにし日々を懐かしむことはやめないでおこうと思います。

この正月で数えで43になり、晴れて厄も明けました。個人的なことを最後に少し言うならば、小さくてもいいので、今年は何かいいことがあるといいなあ…。