ファッションや文化など、最近の流行りには極めて疎(うと)い自覚があります、調たかしです。スーツはもう3年近く新調してません。いま流行っている歌を聴かされても、ほとんど誰が歌っているのかわからないと思います。どんな歌が流行っているのかすら、そもそも知らないのです。

そんな私でもコロナの流行だけは当然気になります。今日から3回にわたって連載を試みたいと思うのですが、初日は最近の新聞報道を参考に、オミクロン株の猛威によって生じた矛盾について所見を述べたいと思います。

今朝の西日本新聞の一面に、「保健所逼迫 選択と集中」の見出しがありました。記事によると、「厚労省は今月19日、都道府県に対し、濃厚接触者の調査範囲を感染の可能性が高い同居の家族と、高齢者施設や医療機関に限定してもよいと発出した」とあります。つまり昨今は、新規陽性者の同居家族や、老人ホームまたは病院での感染以外は、自治体がPCR検査をしなくてもよいことになっています。

全国の自治体で疫学調査、つまりPCR検査が追いつかない状況になったので、それぞれの状況に応じて検査対象を絞ることに、国がお墨付きを与えているのです。厚労省はさらに24日には「濃厚接触者に発熱などの症状が見られた場合、PCR検査をすることなく医師が新型コロナへの感染を診断してよい」旨を都道府県に通達しました。こうした状況からも明らかなように、もはや目下の感染爆発の局面は各自治体の手に負える状況ではなくなってしまっています。

こうした前提に立つと、気づくことが1つ。

それは今日のタイトルにある通り、感染症への公的な対処がある種の論理矛盾に陥ってしまっているということ。いくら濃厚接触者とはいえ医師が症状を見ただけで「あなたはコロナにかかっていますね」と診断できるのならば、それは季節性のインフルエンザの診断よりもはるかに簡単であり、まさに風邪並みの扱いです。

一方で、いま感染爆発が起きていることは紛れもない事実で、今日からは蔓延防止等重点措置が福岡県にも適用されました。現在の対象は34都道府県です。県内では今日までに飲食店での時短営業が始まっていますが、これらは重症化の危険性が高いとされたデルタ株の流行のときと全く同じ措置です。我が国では過去において、仮に季節性のインフルエンザが大流行をしても何ら国民の日常生活に制限は加わらなかったのですが、そう考えると今回のオミクロン株への対処は極めて厳しい内容と映ります。

陽性の判定では風邪並みの扱いをしながら、蔓延防止の観点では以前の強い締め付けをそのまま踏襲する。この事実だけを捉えるとなんとも不都合で説明のつかない事態だと感じます。こうした論理矛盾がいかんともできなくなっている現状は「公的な制御が不能な状態」以外の何ものでもなく、医療崩壊になぞらえれば「公御崩壊」とでも言うべきではないでしょうか。

保健所や医療機関をはじめ、第一線で奮闘されている方々の疲弊ぶりは察するに余りあります。厚労省が今回認めている疫学調査の対象絞り込みや、調査そのものの省略という措置は、これら第一線の機能を守るためにはやむを得なくもあり非常に合理的です。ただしこれはオミクロン株による重症化のリスクが、デルタ株の流行時と比べて低いと見られることを織り込んでいるのだから、前回の流行時と締め付けが同じであることの説明にはなりません。こうした矛盾については可能な限り速やかに解消を図る必要があると思います。

コロナの一時的な流行と終息は、今後も2〜3年は続くとの予測をよく目にしますが、それならばその時々の流行の中心となる変異株の特徴に応じて、蔓延防止に向けた国民への要請内容を変化させることしか、こうした矛盾の解消法はないように思います。

リスクの高い変異には徹底した疫学調査と行動規制で臨み、リスクの低い変異には風邪並みの診断と注意の呼びかけで臨む。またはいっそのこと、「コロナは風邪と同じだ。健康に不安を抱えている人以外は、かかっても気にするな」というように、国を挙げて決めてしまうかです。そろそろ、そんなことを議論する時期にきているのではないかと思います。

連載の初日から思った通りのことを書いてしまいましたが、気が早い考えでしょうか…。