参院選も終盤に差し掛かりました。投票日である7月10日は朝から消防団の用務で研修を受けることになっているので、私は期日前の投票を済ませました。

この選挙戦を通じて、やはり物価高への対応は相当に関心が高いテーマなんだと実感させられています。

前回のこのブログの更新で私は、①今年5月の消費者物価指数が昨年比+2.5であるのに対し、企業物価指数が+9.1であること、②かように我が国でも企業物価指数が欧米の消費者物価指数並みに上昇しているのに、なぜかスーパーなどで手にする商品の値上がりは抑えられていること、③この2つの数値の差である6.6ポイントは、民間が利益を犠牲にしながら踏ん張っていると思われること、の3点を指摘しました。

その後、流通に詳しい方にお話を聞く機会があったのですが、小売の段階(つまりはスーパーをイメージすればよいのですが)では、仕入れから概ね3割の上乗せをした値段でモノが売られるのが我が国では一般的なのだとか。

この上乗せ分が小売業者の利益や人件費などになっているのですが、私が前回の更新で指摘した6.6ポイントのかなりの部分が、現在まではこの3割の上乗せ分の中で吸収されているのだそうです。もちろん、一次生産者や卸業者の方々、物流業の方などの中にも、値上げを我慢している方がいらっしゃいます。

ですが、これも民間の努力なので、どこまで続くかはわかりません。

最近は、これからの夏場、そして秋にかけて本格的な値上げラッシュを覚悟すべきだと強く思うようになりました。以下、そう思う幾つかの要素について述べますが…。

政府が民間に売り渡す輸入小麦の価格は半年に一度改定されます。改定時期は4月と10月です。輸入小麦の価格は今年4月に、前年10月と比べて+17.3パーセントとなりました。過去2番目の水準にまで値上がりしたようです。昨今の情勢を見れば、今年の10月にはもっと値上がりすることが想定されます。

原油は、エネルギーとして、また素材としても欠かせませんが、こちらも上がる一方です。現状、日本で消費される原油の価格は、政府が補助を出し続けていることにより欧米先進国と比べても抑制されていますが、脱炭素路線とは真逆の政策でもあり、こうした補助がいつまでも続けられるものなのかと問われると、疑問符がつきます。

また許し難いことに、ロシアは我が国の資本や技術によって建設された樺太の「サハリン2」を、接収すると言い始めました。九電や西部ガスなどの地場を代表するエネルギー企業が、ここで産出される天然ガスを買っています。接収によって供給が止まることになれば、私たちにとっては光熱費の値上げ要素になりかねません。

家計を防衛するために、我が国でもいち早く賃金を上げる必要があります。フランスの最低賃金は物価の上昇率と連動して上がる仕組みになっているそうで、今年5月には2.65パーセントの引き上げが行われています。我が国にはこうした制度はなく、そもそも給料が上がらないデフレの時代が30年近くも続いているだけに、事はそう簡単には運ばないかもしれませんが、今は思いっきりが必要な場面です。政府・与党には国民の生活を守る使命をしっかり果たすために、早急な賃上げの実現を目指して欲しいと思います。

そして、ここからが今日の本題なのですが、いま一番に考えるべきことは「絶対に国民を飢えさせないこと」だと思っています。食料自給率が40パーセントを下回る我が国でも、主食である米だけは自給できています。どんなに生活必需品の値段が上がろうとも、或いは国外の事情で農産物の輸入や流通が遮断されようとも、米だけは誰もが食べられるような備えをしておくことが、政治の責任ではないかと思うのです。

私がいま頭の中でイメージしていることは、消費者物価指数の上昇が例えば5パーセントなど一定値を超えた場合、「政府が備蓄米を供出し『米が欲しい』と申請をした世帯に、人数に応じて片っ端から米を支給する」というもの。所得制限をすると支給が遅くなるので、全ての申請に応じるのがよいと思います。

お米が主力な商材である小売店には所得保証が必要になるでしょうし、飲食店の経営に対しても多少の影響はあるでしょうから場合によっては何らかの対処が必要になるでしょう。「米蔵を開くとき」と今日のタイトルを書きましたが、100万トンの政府備蓄は惜しみなく配る心構えをすぐにすべきだと思います。農家に増産をお願いすれば、毎年秋が来るたびに備蓄はできるのですから。

その昔、薪を背負いながら本を読んでいる少年の像があちこちの学校の校庭に建てられていました。二宮金次郎(後の尊徳)は、倹約と勤労と勉学に励んだ子ども時代のエピソードが讃えられて、全国に名が知られることになったのですが、成人してからも立派な功績がありました。

その一つが飢民の救済です。農民の出自から小田原藩の士分(後に幕臣)に取り立てられた彼は、天保の大飢饉のときに小田原城の米蔵を開いて領民に配り、多くの飢えた人々の命を救ったと伝えられています。

物価高に見舞われる現在、経済的な困難を抱える人たちの置かれている状況は、その昔の飢饉と何ら変わることはありません。国が米蔵を開くべきタイミングはいつなのか。生活が苦しくなったときに、生活必需品の中でもまず最初に削られるのが食費であるというのも家計の常です。国民を飢えさせないことこそ、国民の生活を守る政治の最低限の責任なのだということを、改めて肝に銘じる必要があると思っています。