メディアの世論調査の中身を詳細に承知している訳ではありませんが、国民世論にもオリンピックの開催に否定的な意見が多いとする最近の報道に触れ、思うところを今日は書きたいと思います。

思い返せば平成18年(2006年)、2016年の夏季オリンピック招致に向けて、「どの都市が候補地となるか」をめぐる国内選考レースで、福岡市は東京都に敗れました。日本の候補地となった東京都はその後、リオデジャネイロに敗れて2016年の開催を逃しましたが、改めて2020年の開催地レースを制し、今日に至ります。

私は平成18年当時、まだ地元民放の記者でしたが、東京一極集中に正面から啖呵を切って堂々と挑んだ郷土の、そして市政の先人たちの姿は、今も目に焼き付いています。

そんな経緯も一つの要素になっているのでしょう。私はオリンピックを開催してはいけないという考えに、どうしても馴染めないでいます。

オリンピックは誰のものだろう。開催国、開催地の人々のものか。恐らくそれは、否。極めて漠然とした感覚的なものですが、国際社会のもの、世界中の人々のものなんだろうなと思います。

4年に一度のこの大会のために、日々、あらゆる犠牲を払って自らを高め、肉体と精神を極限まで鍛え上げるアスリートたちが、世界中にいる。そしてあらゆる国の人々が、オリンピックで生まれる新たな記録とともに、人類がそれまでの限界をまた一つ超えたことに熱狂し、それまでの途方もない努力を讃え、感動を分かち合う。そこには言語や習慣、肌の色や宗教の違いもなく、だからこそオリンピックが平和の祭典と呼ばれることには、相当な重みがあるのだと思います。

日本人として決して忘れてはいけないのが、東京都は世界6都市の競合を制して、2020年の開催地に決まったということです。

ローマ、マドリード、ドーハ、イスタンブール、バクー(アゼルバイジャン)、そして東京。少なくとも5カ国、5都市の人々が当時は落胆をし、そして同時に開催地に決まった東京、日本に温かい祝意を送ってくれました。

もちろん我が国でも、オリンピック誘致に最初からみんなが賛成していたわけではありません。しかし、開催地に決まったその瞬間から、大会を成功させることは、国を挙げて履行しなければならない国際公約になったはずです。特に、東京に敗れた5カ国、5都市の人々に対する道義的責任だけは決して忘れてはいけない。

最近はオリンピックの開催に前のめりなIOCの幹部の発言が度々大きく報じられました。「信じられない」という風に、我が国の国内世論からは大きな反発がありましたが、少なくとも私は、主催者として当然のことを言っているのではないかと感じました。「あなたたち日本人が他国を押しのけて開催したいと言ったのだから、あなたたちがやめるというのは筋が違う。責任を持っておやりなさい」と。

私が福岡にいながら漠然と懸念しているのは1点。我が国の信用の問題です。仮に「オリンピックをやめる」と我が国が決めた場合に何が理由になるのかは分かりませんが、世界中を納得させる説明ができなければ、ただ我が国が信用を失う結果になるだろうということ。ワクチン接種の進み具合には国ごとに大きな差が出ています。進んでいる国では、明らかに脅威が去りつつある。

だから単に我が国で「コロナが怖い」「医療やボランティアのスタッフの確保ができない」「みんなが自粛しているのにオリンピックをやるのはおかしい」と言って中止の決断をしたところで、必ずしも全ての国の人々の納得が得られない状況になっているであろうことには、留意する必要があると思います。

今、何よりもしっかり拾い上げて欲しいのは、既に各国でオリンピック代表に決まっているアスリートたちの声。やりたくない、やるべきではないという声が、現段階で決して優勢であるとは思えません。逆に、オーストラリアのソフトボールチームが事前合宿のために来日したことが報道されていますが、やっぱり当事者たちはやりたいと思っているし、日本なら安全にやれると信じているんじゃないでしょうか。

オリンピックイヤーにコロナ禍に見舞われたことは、本当に不幸なことでした。やめると言えば巨額の違約金とも。やると言えば世論の猛反発。舵取りを任される政府は進むも地獄、退くも地獄の状況に置かれています。

政府には今一度、オリンピックの開催意義を改めて国民に説明する責任が生じていることは間違いありません。平和の祭典が一体誰のもので、誰のために、そして何のために、現在の困難な状況下でも開催しなければならないのか。多くの理解と共感が得られるメッセージを発信することが必須だと思います。

国際協調主義の中で戦後の時代を生きてきた日本という国が、国際的な公約を守るため、信用を失わないためにオリンピックを開催する。「大義を失う」などと指摘する報道があったようですが、十分な大義があるのです。政府・与党には不退転の覚悟と信念をもって、さらには国民や各国選手の命と健康を十分に守れるという根拠を示しながら丁寧な説明を行い、理解と協力を呼びかけてもらいたいと思います。

結びに、どうしてもこれだけは述べておきたいのですが、2016年の夏季大会誘致で、当時の福岡市と開催地を争った東京都には、今回、間違っても自ら「降りる」などと言い出して欲しくないものです。都議選に向けて争点化されるという観測が既に出始めているようですが、今の都知事なら本当にやりかねないのではないかと心配しています。

仮に都の判断で開催を断念するとして、その裏側で「誰が都議になる」とか、「どの集団が優勢になる」とか、世界レベルでは極めて関心の低い、どうでもいい思惑が少しでも透けて見えるようなことがあれば、それこそ我が国の信用は、回復不可能な程に失墜しかねません。

約束したことはちゃんとやる、特に「言い出しっぺ」は最後まで責任を持つ。子どもでも知っている当たり前の倫理観というか、我が国にずっと伝わってきた美徳のようなものは、いかなる国難の只中にあっても見失いたくないものです。