シリーズ3回目は日本の長期停滞の原因であるデフレの理由について私見を述べます。タイトルは「インフレのなぜ?」なのに、自分なりに突き詰めていった結果、タイトルと真逆の内容を書くことになりました。

①製造業の海外移転による「成長の流出」

失われた20年の起点である1990年頃、日本の企業が海外に工場などを作って現地で生産をする「海外生産比率」は、製造業では3~4パーセント程度でした。それが最近ではどうなったのかというと、国の海外事業活動基本調査によれば、19年度末の段階では23.4パーセントとなっています。

製造業を含めた全産業で見ると、海外生産比率は下のグラフの青線のような推移を示しています(引用元はJIBC・国際協力銀行のHP)。海外における生産はこの1990年代以降、基本的にはずっと右肩上がりでした。

海外で生産された製品は、日本国内に還流する企業活動の利益を除けば我が国のGDPには反映されません。日本企業の年間の海外生産額は二百数十兆円から三百兆円です。21年の我が国のGDPが約550兆円なので、その半分くらいの生産が海外に「移っている」と言えると思います。

この間、日本は海外の成長に大きく寄与してきたことになり、そのこと自体は東南アジアをはじめとする発展途上の諸国に対する貢献であると評価すべきなのでしょうが、それは裏を返せば国内での設備投資や雇用の機会を流出させ続けてきたと捉えることも可能であり、結果として国内のモノの動き、消費行動を停滞させる原因になってきたのではないかと思います。

最近、コロナ禍や米中経済戦争などの影響で世界的な半導体不足が問題になり、かつては世界を席巻した日本の半導体産業が、国内に拠点を持たなくなっただけでなく大きく衰退したことが今さらのように問題視されました。今後進めるべきは国内への産業の回帰です。高付加価値製品を中心に国内生産を増やして雇用を創出し、足りない労働力は国民への公的な職業訓練支援制度の拡充によって補い、さらにどうしても足らなければ海外からの働き手に求める。移民政策には否定的な見方が根強いと感じる我が国ですが、放っておけば少子化で減り続ける一方の内需の拡大にもつながる点を見れば、外国人労働力の受け入れは一定の好ましい効果をもたらすであろうことも事実です。

②日本人特有の?デフレマインド

失われた20年と言われる時期、多くの日本人が高度経済成長の成功体験を過去のことと整理し、低成長や停滞の時代を織り込んでお金を貯蓄に回し続けたように思います。2007年に明るみに出た「消えた年金」問題は国民の怒りを買うとともに年金制度そのものへの不信感を高めました。2019年には金融庁が、老後の30年間の年金生活で、2千万円が不足するという報告書を出し、大きな動揺が広がりました。我が国ではずっと将来不安ばかりが国民の関心を集め続けています。

このように、どこか豊かになることを諦めたような雰囲気が我が国を覆っていることこそ、デフレの最大の要因だったような気がします。この間、ICT技術の発達などの恩恵を受けて、我が国でももちろん労働生産性は向上しました。しかし、この間で主要先進国で我が国だけが、実質賃金が下がる事態になっています。

平成のはじめに約20パーセントだった非正規雇用率が、平成の終わりには倍の40パーセントになるなど、雇用環境が大きく様変わりしたこともあるでしょう。それにしても、所得が増えないことに対してデモや暴動が起きるでもなく、みんなが徐々に貧しくなっていくことを淡々と受け入れるような雰囲気は、我が国に特有のデフレマインドと言えるのではないかと思います。

このように述べると、まるで「デフレは気持ちの問題だ」と、長きに渡って日本の国を苦しめてきた宿痾(しゅくあ)を精神論で片付けてしまうかのように受け止められるかもしれませんが、正直に言ってそんな一側面は確実にあっただろうと考えています。

最近ではSDGsの概念がかなりの支持と共感を集めており、物質的な豊かさ一辺倒ではなく持続可能性をも追求する世界の潮流はしっかり意識しなければなりませんが、一方では今日よりも明日をより豊かに、快適にという欲求を「当然のもの」なんだと思い直すことは、大切なんだと思います。

手始めに、国策としての賃金押し上げと、一定の価格転嫁の強制をやるべきだと思います。ただでさえ、昨今の最低賃金の上昇傾向に対しては中小の事業者から悲鳴が聞かれますが、賃金上昇のコストアップに直面することになる事業者は国策で保護しつつ、国全体が少しずつ豊かになることを指向しなければならないと思います。

グローバルな資本主義経済において我が国が長期間に渡り成長しなかったことが、国家財政の見た目を相当悪くしたことはこれまで指摘した通りです。それゆえにコロナ禍でも我が国は思い切った財政出動を打ちにくい状況になりました。

今日まで3回に渡って私見を書いてきたまとめとしては、経済を成長路線に乗せることがやはり急務であること、長年にわたる低賃金構造で民間の、特に若い世代の購買力や消費意欲が低い中においては、我が国全体を成長の軌道に乗せることができるまで、国は覚悟をもって財政出動をしなければならないということを述べておきたいと思います。

具体的には、設備投資や技術革新につながるような、より永続性の高い分野への財政出動を積極的に行うべきだと思うのですが、そのことは今後もまた勉強をして、別の機会に考えをまとめたいと思います。

将来の世代に対して真に果たすべき責任は、実は国の借金を一円でも減らす努力をすることではなく、借金の対GDPの比率を下げて、つまりは国際標準的な評価という土俵の上で、適正なレベルに近づける努力をすることです。こう考えると、低成長に甘んじ続けることは将来の世代に対する罪であるとも言うことができます。ここいらが、日本の正念場ではないでしょうか。