人も我も 道を守りて かはらずば

この敷島の 國はうごかじ

私の事務所に表掲するこの和歌は明治天皇の御製と伝わります。写真は玄洋社記念館のカレンダーです。朝日新聞副社長から衆議院議員に転じ、自由党総裁を務めた緒方竹虎先生の筆によります。

大意は「皆が道徳にたがうことなくあれば、日本の国の土台は揺るがないのである」ということだろうと思います。

敷島(しきしま)とは日本の国の別名、あまり耳慣れない言い方をすると古くからの「国号」です。大和の国、現在の奈良県の磯城(しき)郡に、その昔、崇神天皇の都が置かれたことにちなんだものと言われます。式島、敷嶌と表記することもあるそうです。今の言葉に置き換えれば「四季のある島国」という響きもあるように感じられ、なんと雅で奥ゆかしい国号であることかと感嘆させられます。

国学の大家(たいか)で四大人(しうし)に数えられる本居宣長の有名な一首にも、敷島の字があります。

敷島の 大和心を 人問わば 

朝日に匂う 山桜花

敷島は「大和」にかかる枕詞だそうです。先の大戦においてはこの一首が、特攻隊員をはじめ四海の戦場に散華した英霊たちの心の拠所になったとの評もあります。

先の大戦は欧米列強の支配からアジアを解放するという大義に端を発したものでしたが、命を賭し、死して護国の鬼となった兵(つわもの)たちは云うまでもなく、何の罪なく犠牲となった無辜の民の無念は推し量りようもありません。ただ今の世にも、年に一度は桜の花となって還りたまうのだと思えばこそ、私は春を恋しく思います。

幾年、幾星霜を経るとも変わらぬものは大和心。国を愛する気持ちに今も昔もないのだということを、事務所のカレンダーを眺めながらしみじみと感じています。

麗しき 大和心は 敷島の

人の内にぞ いまも薫らん